最近のトラックバック

2021年7月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« スペイン旅行記(12) モンジュイックの丘、グエル公園 | トップページ | 久々にカレーをつくる »

2005.10.09

スペイン旅行記(13) 最終回:芸術を語る

 いよいよ最終日。朝4:30に起床(もう少し寝ていてもよかったが目が覚めてしまった)、5:00にホテルをチェックアウトしてタクシーを拾い、空港へ。ちなみに空港は英語の airport ではタクシー運転手には通じないことも多いらしく、スペイン語で aeropuerto と言いましたよ。万が一飛行機に乗り遅れたりするとしゃれにもならないので万全の体勢で。


 朝6時前だというのになかなかの混雑。出発のボードを見ていると、なんとマドリッドへは1時間に5~6便も飛んでいる。

 ここから出発時と同様にロンドン・ヒースロー空港に向かうのだが、乗り込んだ後なかなか出発しない。英語の機内アナウンスがあり、ロンドンの天候が悪いらしいがいまいち聞き取りに自信なし。結局1時間遅れで離陸したが、もともとロンドンでは乗り継ぎに5時間という予定だったので特に困るわけでもなかった。

 というわけでこの旅行は終わり。以下でまとめっぽいことを書いてみる。

スペインの全般的なこと


 これから行く人に役立ちそうな点としてはこんな感じ。

  • スペインでは小数点がカンマ、3桁毎の区切りにピリオドを使い、日本やアメリカと逆である。なぜそうなのかはわからないが、これはかなり違和感がある。
  • コーヒーは基本的にエスプレッソ。特に、日本で飲むいわゆる「アイスコーヒー」は存在しない。なのでのどが渇いたときは水・コーラ・ビールしかない。
  • 全体的に物価は日本より2割ほど高い印象。スペインは公共交通機関は安いけれども、飲食代や衣類は明らかに高い。ただ、ユーロは対円で過去3年で2割ほど上がっているので、3年前だったらほぼ同等だっただろう。
  • シェスタの風習らしきものには出会わなかった。個人商店ならともかく、ある程度大きい店なら特に昼休みはなさそうである。ただし、レストランのディナータイムは夜8時過ぎなので、日本のリズムでうっかり12時頃に昼飯を済ませると6~7時に空腹でかなりきつい。
  • 実は、繁華街ではホームレスや物乞いは割と多い。中には芸らしきものをやって小銭を貰おうとしたり、小さい子供を連れてあからさまに同情を引こうという者もいる。そういえば、日本にもホームレスはいるけれども、小銭を貰おうとはしていないですね。
  • 治安面では特に危ないシーンはなかったが、たとえばバルセロナ日本総領事館のこのページの手口を見ると、けっこう物騒な雰囲気である。また、どこで見たかは忘れてしまったが、日本人が日本人を狙う詐欺も発生している模様。「パスポートを紛失したので当面の生活費を貸してほしい」などと言って近づいてくるのだが、犯人は若い女性(!!)らしいのでこれは狙われたら防御不可能だろう。

一人旅について


 今回初めての一人旅だったが、よいところ・悪いところそれぞれある。良いところは、

  • どこへ行って何をどれだけ見るかを完全に自由に決められる。例えば今回はダリの絵,FCバルセロナ博物館,グエル公園にはかなり長いこといたが、プラド美術館は早々と切り上げるといったように。

  • 感じたことを一人でじっくり考える時間がいくらでもある。これは割と重要。

  • なにかと度胸がつく

 悪いところは


  • その場で感想を誰かと言い合うことができないのはややさびしい

  • 荷物を見ててもらって便所や買い物に、といったことができない。特に荷物の多い空港や駅では問題。

 といったところ。でもまあ一度はやってみるものだと思います。
 あと、パッケージツアーの団体客も多数見かけたけれども、よほど言葉に不安があるとか、交通の便のないところに行くとかいうのでない限りはやめたほうが良さそうにみえた。ガイドが「では○時にここに集合」とか号令をかけたり、胸にツアー客であることを示すシールを貼ったりしているのは正直格好悪いですよ。

まとめ


 最後にテーマっぽいことを匂わせてこの旅行記を終えるけれども、感想を一言で言うと美しいことの非論理性の再発見だった。
 ダリやピカソの絵は美しいし、ガウディの建築も美しい。作り手に関しては、単に彼らは特殊な天才だったという説明で終わってしまうのだが、ああいったものを美しいと感じることのできる感性は人種や文化圏を超えて多くの人に備わっているというのが不思議でならない。遺伝子レベルでそうなっているのか、やっぱり文化が個人にそう仕込んだのか?
 実は旅行前には、あれらの有名な美術は単に「有名なんだから価値があるのだろう」と刷り込まれているだけなのではないかという疑念が少しあったのだが、それはまったくの杞憂であった。今回見てきた作品群は圧倒的に本物だった。それは間違いない。

 なぜそれらが美しいかを論理的に説明することはできない。でも、作り手の天才たちは、ああいったものを作ると人に感銘を与えることが出来ると発見したのである。それも最初に発見することが重要で、ピカソのキュビズムを仮にピカソのことを全く知らずに会得したとしても、今やそれには価値が乏しくなってしまう。オリジナルであることが決定的に重要ということだ。

 翻って自分のことを考えると、本職であるソフトウェアにおいて、芸術と呼べるものは存在するのか? 存在するならどうすればその境地に至れるか? ということを真に理解することが課題になる。いまいち抽象的な言い方だけども、今まではソフトウェア作りは発想力と実装力によって決まると思っていたが、そこに過程が芸術的であるかどうかという新要素が入ってきたのである。今はこの観点から自分のソフトウェア作成方法を見直しているところである。

 一つはっきりしているのは、このテーマを追求するにあたっては、サラリーマンをやって仕様と納期を遵守する仕事をしていてはほとんど無理ということだ。その点では退職して正解だった(そもそもあのままだったら旅行に行くことすらできなかった)し、幸い生活費のことはさほど気にしなくていい身分も手に入れているわけだから、この機会を存分に利用してやりたいことをしよう、これが今回の旅行の結論である。

 最後に、スティーブ・ジョブズのこの言葉を紹介して終える。
 この世界にはアイデアがみちあふれている。模倣するほうが少しは楽かもしれない。でもそんなことをしても世界は良くならないんだ。

« スペイン旅行記(12) モンジュイックの丘、グエル公園 | トップページ | 久々にカレーをつくる »

コメント

長編旅行記乙でした。
エッセイとして十分な面白さでしたよ。読み応えありました。

日記に「でも、作り手の天才たちは、ああいったものを作ると人に感銘を与えることが出来ると発見したのである。」とありますけど、たしか、文化人類学者のエドワード・ホールも彼の著作 (『沈黙の言葉』か『かくれた次元』のどちらかだったと記憶) の中で同じようなことを述べています。「芸術家は目に見えていないものを顕在化させる役割を果たしている云々」ということを言っていたと記憶しています (10年くらい前の記憶なので、なんともあやふやですが)。

素晴らしいスペイン旅行を経て、またも開眼されたようですね。うらやましいです。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: スペイン旅行記(13) 最終回:芸術を語る:

» だて男 [闇夜に迷って文明比較]
  海の幸専門レストラン 夕暮れ時に、イタリアのジェノバ駅を発車した国際列車は、コートダジュールの長い夜の闇を走り抜け、明け方の薄明にしだいに浮かび上がるスペイン・カタロニア地方の赤茶けた岩肌を縫って、午前7時近く、バルセロナ駅に静かに滑り込んだ。 大滝三..... [続きを読む]

« スペイン旅行記(12) モンジュイックの丘、グエル公園 | トップページ | 久々にカレーをつくる »