【書評】テヅカ・イズ・デッド
つづいて漫画がらみのエントリです。
あとがきによると執筆に2年半かかったそうで、中身を読んでも確かにいろいろ調べて考察した形跡は伺えるのだが、いかんせん読ませる技術に欠けているのが痛い。論証自体は正しいと思うのだが、何をいまさらもったいつけて...と思うところがあったのは確かだ。例えば、「あるストーリーを語るために必要な登場人物」と「独立した背景を与えられ、ストーリーがなくても人格として成立している登場人物」を区別しているところがあり、いわゆる「萌え」は後者について限定して見られる現象だ、といった話があるんだが、これもある程度真面目に漫画を読んでいるならごく当然の認識だろう。
しかも、著者はこの二種類の登場人物を「キャラ」「キャラクター」という言葉で区別しているのだ。これでは読者は混乱するばかり。もう僕もこれを書いている時点でどっちがどっちだったかわからなくなっている。もっとインパクトのある呼び名を与えないといかんだろう。
基本的には、手塚治虫を規範とする評論の限界を説くのがメインであるのだが、それだとこのタイトルはおかしくないかね? 「テヅカ・イズ・デッド」じゃなくて「テヅカ・マスト・ダイ」が正しいのでは?
でもまあ漫画評論読むより漫画自体を読んだ方が楽しいっすね。無性に火の鳥とブッダをまた読みたくなった。
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