投資と投機
昨日、株がらみのインタビューを受けた。雑誌に載るんだそうで。
その質問の中に、「株は投資か投機か」という話があってそのときの考えを話してみたけど、その後改めて考えたことも含めてまとめてみる。ちょっと長くなったが、インタビューの補足も兼ねて。
僕の考えとしては、投資も投機も(さらに、パチンコや麻雀まで含めても)同一のことを指しているのであり、本質的な差はないというものだ。よく、投資=善、投機=悪という図式でモノを語る人がいるので、そこにははっきり反対しておきたい。
さて辞書によると、次のようになっている。
【投資】
利益を得る目的で、資金を証券・事業などに投下すること。
【投機】
将来の価格変動を予想して、価格差から生ずる利益を得ることを目的として行う売買取引。
既に同じことを指しているように見えますね。
いずれにせよ、変動を予想し、なにかの不確実な現象に対して身銭を切るという点では変わらない。
よくある投機への批判として、投機は他の参加者の負け分を収奪することを目的としているから悪、投資は投資先の成長を指向しているから善、というのがある。でも、「投資先の成長を指向」した投資でも単に他の投資者の投資機会を奪って自分が投資する(=自分が投資しなくても他のだれかが投資する)ということを考えれば、他人の機会を奪っていることも変わらない。
また、投機活動は社会的に何も生産していないという批判もある。それは正しいが、(長期)投資も同様に何も生産していないよ。生産したのは投資先の会社等であって、投資者自身が生産したわけではないからね。そこは区別して考えないと。
おそらく、皆納得しないのは、投機はバクチであり、バクチは基本的には法律で禁止されていて、しかも社会的にも悪とされているという点だろう。
僕が考えるに、その差は変動を予想するという部分に出るのだと思う。変動の予想のメカニズムがただの勘とか運任せの域を出ているかどうかが焦点になる。本質的には投資も投機もバクチも一緒なんだけど、社会的な評価が分かれるのは判断がどれだけ高度かだ。
麻雀で例えると、普通にプレイしている限りはバクチだけども、もし他の参加者の癖を分析し、さまざま局面での最適手を調べた上で、勝つべくして勝っているのであれば立派な投資者だよ。対象企業を調べ、株価の上昇余地が大きいと判断して株を買うのと特に変わらない。金融工学を駆使して未知の裁定機会を見つけるのも変わらない。
もちろん、判断のレベルが高いか低いかというのも明確な基準があるわけではないし、高度な判断をしても単に「勝つ確率が上がる」だけであってギャンブル性から逃れられるものでもないんだけどね。
バクチが問題視されるのは、判断力の弱い人たちにつけこんで胴元が法外な利益を挙げるからであって、バクチの行為そのものじゃないと思います。というか、そうでもないと証券市場の存在意義がなくなるし! 将来の不確実性を現在のマネーと交換する場所が市場ですからね!
あと、投資活動のエンターテインメント性という一大テーマもあるんだが、それは別の機会に。
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コメント
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投資=善、投機=悪って、本当にナンセンスですよね。
投資と投機の違いについては、投機は投資の一種だろうと思います。投資戦略の中でも、機、すなわちタイミングに着目するものが投機なのでしょう。
たとえば、値上がりしているから、トレンドフォローで買う。急に値下がりしたから、自立反発を狙って買う。というような事柄。
逆に投機でない投資では、タイミングではなく価格に着目した戦略なのだと思っています。
安いから買う。高いから売る。というような。
投稿: esper | 2006.05.02 04:37
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