価値の大小を他人と定量的に議論するには金しかない
よく、起業は飛行機の離陸に例えられる。滑走路の残りの長さ=手持ち資金で、速度を上げながら(=時間あたりの資金消費量を増やしながら)進み、手元資金が尽きるまでに離陸できればOK、でなければ離陸失敗で事故、というわけだ。
この例えでは、もし途中で離陸できそうにないと判断した場合は、強引に滑走路を延長する(=増資)か、離陸できることに賭けてそのまま突き進むことになる。
僕の仕事スタイルは、これでいくと小型のグライダーだ。滑走路は要らなくて、小高い丘があればいい。よほど条件が悪くない限り離陸はできる。その後も小回りはきくし、景色もよく見える。でも1人しか乗れないし、速度はジェット機より比較にならないほど小さい。
この比喩はけっこうよくできている。
とくにエンジニアであれば、「小回りがきく」ことはきわめて重要だ。ちょっと気になるライブラリが出たり、面白そうな本に出会ったりしたときに、その日の仕事の予定を変更して今興味あるものにとりかかれる自由を確保する、ということだ。
もちろん重要な締め切り間近とかではそうはいかないが、僕の場合はタイトな期限というのは年2~3回なので大抵の日は融通が利く。
でもサラリーマンではこうはいかない。個人的興味でフラフラその日のタスクを変えるのは、仮に長期的には何かの役にたつのだとしても、株主の時間と金を無駄にしていることになる。それがオーナー社長であれば、株主としてだけでなく実務を遂行する上司としての立場からも無駄であるのでとうてい受け入れられない。
逆に、ある程度大企業になれば、興味のあることを手当たり次第やって情報収集するのが任務、というケースもあるだろうけど、中途半端な規模の組織だとそれは難しい。エンジニアとして好きなテーマを選択してそれを仕事にすることを優先するなら、自営でやるか大企業かどっちかだ。中間はない。
つきつめると、組織で仕事をするとなると、価値観は個人個人でバラバラだから、金銭的効率をもって仕事の価値とするというルールを設けないと収集がつかなくなるというのが真の理由である。何かの価値の大小を他人と「定量的に」議論するとなると、結局は金以外に基準の置きようがない。
僕が人を雇うことを極力避けてきたのはそこが大きい。自分が忌み嫌ってきた不自由を他人に強制するのはどうしても気持ちのうえで抵抗があるのだ。
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